「教えない」には2つある


「教えない」というより「教えることは出来ない」

北斗フットボールクラブで大切にしている「教えない」という事には2つの意味があります。

まず1つ目は正確には「教えない」ではなく「教えることは出来ない」という事です。

それは「教える」という事は自分1人の意思では成り立たないからです。

「教える」とは受け取る側の意思があって初めて成り立つ事であり、こちら側の「教えたい」という一方的な気持ちだけでは成り立たない。

 

自分がどんなに子どもたちに教えたいことがあってそれがどんなに大切なことであろうと、相手がその事を自ら「教えて欲しい」や「知りたい」と思ってなければそれは一方的に「伝えてる」だけで本当の意味では子どもたちの奥底までは届かないし届けることは出来ない。

 

どんなに良い事どんなに大切な事を一方的に「伝えた」としても相手にそれを受け取る意思がなければそれは「教える」という事にはならない。

伝える側と受け取る側の2つの意思があって初めて「教える」が成り立つ。

一方的な「教える」は成り立たない。

 

だからこそ一方的に教えた気になるのではなく、子どもたちの興味や意欲がどんどん湧くような、子どもたちが自ら「あれを教えて!」「これが知りたい!」と思うような環境にしていく事が大切だと思うし、その時に子どもたちが求めるものに対して適切な知識や情報・アドバイスを与えてあげる事が出来て初めて「教える」が成り立つのだと思います。

 

もちろん大切な事や必要な事は子どもたちにたくさん「伝えて」いきたいし、その時点で本当の意味で子どもたちにはピンと来なかったり深くまで届いてなくてもいい。

いろんなヒントを与え続けていく事で子どもたちの意欲にスイッチが入るきっかけになるかもしれないし、スイッチが入った時には初めて「教える」が成り立ち始める。

そしてたとえ今はわからなかったとしても卒業した後や大人になった時に「あの時コーチが言ってた事ってそういうことだったのか」ってなれば嬉しいしそうならなくてもそれでもいい。

 

一方的に「教える」ことは出来ないけど、ヒントをたくさん出し続けていつか子どもたちに届く日が来るといいなと思ってます。

「教えない」事は遠回りではなく実は近道

北斗フットボールクラブで大切にしている「教えない」という事の2つの意味。

その2つ目はあえて教えない事で子どもたちの「自ら考える」という力を養う為です。

 

自分自身北斗もそうですしFCバルセロナのサッカースクールを始めいろんなところで長年指導をしてきたしいろんな子どもを見てきましたし、フォーメーションやポジションやその役割などをこっちが一方的に決めたり教え込む事で早く形になりやすいし目に見える結果が出やすいという事は経験上わかってます。

 

ただ逆にそれは自分自身で考えなくても人に言われたことをただやるだけで上手くいく事にもなるし、本当の意味で自分で考えて導き出した答えではない。

 

一人一人みんな違って当たり前だしそのままの自分でいいし人と比べる必要は全くない。

すぐに出来なくてもいいし、目に見える形になるまで時間がかかってもいい。

 

その時点でのそれぞれが持っているものを最大限発揮して一人一人がそれぞれのペースで少しずつでも成長していければそれでいい。

 

たくさんチャレンジしてたくさん失敗して子どもたち自身がたくさんの経験からいろんな事に気づき学び自分たちで答えを導き出していく。

それが大切だしそれが本当の学びだと思います。

 

大人が先回りして答えを教える事が逆に子どもたちが自ら経験して学ぶ機会を奪う事にもなる。

人に言われて知った答えと自ら導き出した答えでは同じ答えでも中身は大きく違ってくる。

自ら導き出した答えが本当の知識となりコツとなり自らに深く刻まれ一生忘れることはない。

だからこそ目に見える結果や答えを大人が与えてあげる事よりも、子供たちが自ら考えて答えを導き出す過程に意味がある大切にしていきたい。

 

答えを直接教えるのではなく子どもたちが自ら考え答えにたどり着いていけるようなアプローチを北斗では心掛けています。

 

 

そうやって子どもたち一人一人が自分で考えて答えを導き出せる力が身に着いたら、今後サッカーのいろんなチームやいろんな戦術、さらにはサッカーだけでなくいろんなスポーツにも適応出来ると思うし、社会に出てからのいろんな課題や困難を乗り越える力にもなり自分の人生を自分で切り拓いていく力になると思います。

 

 

先回りして答えを「教える」事が一見近道にも見えるけど、あえて「教えない」事で子どもたちが自ら考えて工夫して創造して答えを導き出せる力を養う事が結果的に子どもたちのこの先長い人生において近道になるのではないかと思っています。